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 大国主神(おおくにぬしのかみ)の国譲りと天孫降臨(てんそんこうりん)  高天原は天照大神が、葦原中国(あしはらのなかつくに) は大国主神がおさめていたのですが、ある時天照大神は葦原中国は息子の天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)に治めさせようと言い出します。天の神々は相談して大国主神に使者を派遣しますが、最初の使者は大国主神に媚びて戻らず、次の使者は大国主神の娘と結婚してしまいました。こうなると、天照大神としては強談判しかないということで派遣したのが建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)という大変強力な剣の神でした。  建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)が国譲りを迫ると、大国主神は二人の息子と相談します。八重言代主神(やえことしろぬしのかみ)は承知しますがもう一人の息子建御名方神(たけみなかたのかみ)はすぐには承知せず勝負を挑むことになりますが破れて諏訪に下がり「以後、この地から一歩も外に出ない」と誓うのです。こうなると大国主神も否応は無く国譲りを承諾します。その条件として、「立派な御殿を造ること」として国神の長(おさ)として鎮座(ちんざ)することになった。これが現在の出雲大社です。 【※出雲大社本殿は、はるか昔にはその名にふさわしく、高さ三二丈(約97b)平安時代でも十六丈(約48b)という規模を誇り、10世紀に書かれた「口遊(くちずさみ)」では当時15丈あったとされる大仏殿をしのぎ、日本一、世界最大の木造建造物だったと紹介されています。現在の建物は江戸時代の寛文七年に八丈(約24b)の高さになり、地元では大社を敬い24b以上の建築物は建てないと言います。  平成12年4月、巨木を3本束ねた平安時代の本殿の棟持ち柱(宇豆柱=うずばしら)が見つかりました。9本の柱のうち、本殿の中心で心御柱(しんのみはしら)と南東の側柱と宇豆柱の3本の発見で、高層本殿が実在した可能性がさらに高まりました。 ※建御名方神(たけみなかたのかみ)の祭神の神社は諏訪大社です。寅と申の七年ごとに行われる御柱祭は天下の奇祭として有名です。 ※建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)が祭神の神社は奈良県若草山の春日大社や茨城県の鹿島神宮などです。】  さて、葦原中国(あしはらのなかつくに)に天の神が下ることになりますが、天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)は自分の代わりに天津日子番能迩迩芸キャバクラ 求人(あまつひこほのににぎの)命(みこと)を降ろすことになります。この場面がいわゆる天孫降臨(てんそんこうりん)と称されます。  天津日子番能迩迩芸命(あまつひこほのににぎのみこと)は神々を引き連れ、猿田毘古神(さるたびこ)の案内で威風堂々、天の浮橋を渡って、三種の神器と共に天下りすることになりました。降臨したところは宮崎県の霧島高千穂(たかちほ)ないしは同高千穂峡と言われています。